どこまでも学長(佐藤康行)には満月しかない。
かなり前の話だけど、学長に厳しく注意されたことがある。
以前、外国人の方向けの真我開発や真我体道を、都内のいろんな場所で一年くらいやっていたことがあった。
不思議なことに、その時、ある見ず知らずのカナダ人の男性が、MeetーUp というサイトで真我のグループを作ってくれ、その集客を手伝ってくれた。
会員が150人を超えた。
そのカナダ人は信じられないくらいに親切な人だったけど、何かスピリチュアルを学んでいて、自分のやっていることと同じだと私に言っていた。
私は全然違うと内心思っていた。
しばらくして、その人からメールが来て、学長にそのことを話したら、その人のスピリチュアルと真我の違いを言ってみなさいといわれた。
私が長々と説明をしていたら、「それは、満月と三日月で簡単に説明できるでしょ!」と叱られた。
確かにそうだ。それだけで説明がつく話。
ずべてが満月か三日月なんだということが腑に落ちた。
昨日の強烈な神業カンセリングでもそうだった。
学長は三日月を全く相手にしない、というか、三日月が見えないから、満月しかみえないから、だから全てが全自動で変わるんだと思った。
「無」の上の「在」からスタートし、その「在」で現実が本当に変わっていく世界。
そういえば、以前、こんなことがあった。
ある受講生の方からの質問メールで、「黒い影が見え、金縛りにあってとても怖い」とのことだった。
それには確か原爆が関係していた。
その時学長は即答された!
「金縛りというのは、動かなくていいということ。なぜなら、その場で既に目的を達成しているから、その場がすでに光なので、動くと違うものになるというメッセージだ!」と。
そして、以前、YSコンサルタントのOさんが、セミナーの瞑想中に亡くなったお父様が学長の前でひれ伏せてお礼を言っている姿を見たと学長に伝えられた時に、学長がしばらく涙されて動けなくなった時の話をされた。
「あの時、目的が達成されて動けなくなった。金縛りはそれと同じだ。」と言われた。
その質問をされた方はそれを聞いて安堵された。
私たちの目に見えるどんな三日月も、満月にしかみえない学長。
満月しか存在しないということを、地球上でたった一人で言い続けてきた学長。
凄すぎると思った。