真我と気付き

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本当に毎日いろんなことがありすぎて頭では付いていけない感じがする。。

 

そんな中、私が最近よく耳にする言葉がある。それは「私の思い込みだった!」という言葉だ。

 

何故か最近何度も耳にするのには意味があるんだと思う。

 

真我を受講して、これまでの視点と全く違う視点での世界が目の前に広がった時に信じられないような気づきを得られたりする。

 

今までの自分では信じられないようなことに気付くことがある。

 

これこそが自分の使命だとか、命がけでやるべきことだと思えたり。。

 

また、ものすごく素晴らしい景色が見えた時にそちらの方を見てしまう。

 

しかし、学長(佐藤康行)はどんなに素晴らしい景色が見えても全て「一過程」だと言う。

 

どんなに究極と思える答えが見えてもすべて一つの景色に過ぎないのだ。

 

ものすごくトリッキーだとも思える。

 

どうしても固定化したくなる。

 

しかし、しかし、すべては一過程なのだ。

 

学長は、どんなに素晴らしい景色を目にしてもそちらを向くのではなく常に方向はタテ(真我)だけだと言う。

 

景色を楽しみながらも常に真我だけを見続ける。

 

焦点は真我だけ。

 

固定化しないことが時間の無駄を省くことなのではないかと思う。

 

最近、とても熱心で真剣に真我を広めたいと思っているある受講生の方がやはり「私の思い込みだった!」と言われていた。

 

その方もやはり真我を追求する中で得た気付きをすべてのゴールだと信じて全てをそこに注いだと話したおられた。

 

もちろん、ものすごく尊いことだと思う。

 

しかし、固定化するのはとても危険なことなのだ。

 

その方もそのことに気付いたと話されていた。

 

真我を追求していると答えも無限に溢れてくる。

 

だから、ひとつにこだわらないことが一番の正解かもしれない。。

 

気付きはどこまでも認識であり、どこまでも三日月なんだと思う。

 

掴みどころがないが掴めないのが真我なのではないかと私は思う。

 

 

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