お金について

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今日、ある打ち合わせの席に学長が参加された。

 

少し前の会議でも「お金」に関する話で完全にこれまでの脳が壊れた感覚になったが、今日の話は更にわかりやすく感じた。

 

学長の発想はどこにもない神の発想で、面談でも何でも、普通の人間が聞こえる三層構造でいう二層目に対して、学長は常にどんな時も一番奥の神の声しか聞こえないということは日常で感じるが、

 

学長の発想(神様の発想)と人間の発想の違いを一番わかりやすく表しているのは「お金」だと思う。

 

この現世での資本主義社会における常識と学長の常識(神の常識)があまりにも違う。

 

一般的なビジネスでは、何か商品に対してそれ以上の価値を感じた時に人はお金を払い、そこに更なるサービスなどの付加価値が加わった時にお客様と企業の両方が利益を得る。それが三次元でいう真っ当なビジネスの姿。

 

しかし、学長のいう「宗教脳」=生命の脳ではお金の動きに関する常識そのものが全く違う。真逆だ。

 

例えば、1万円の商品があったとしても、それを高いと感じるか安いと感じるかは人によって全く違ってくる。

 

一番わかりやすいのは、真我=学長のされていることの価値が本当にわかった方は自分のすべての財産を捧げても足りないと感じる一方で、その代価を高いと感じる人も中にはいる。

 

自分の命のみならず先祖から子孫の命が救われたとわかる人は、何億円払ってもどれだけの代価を払っても足りないと思い、申し訳なく思い、当然学長に借金をしているような感覚になる。

 

今、間違いなくそのような方々が全国的に増えているのは事実だ。だから全国で不思議な大きな動きが起こっているのだと思う。

 

命よりも大切な真我=永遠の命に代価を払うことの大切さ。何よりも一番大切なことにお金を払うことの大切さが本当にわかった時に大きく人生の流れが変わる。そのことに気づいた人達が今そのような行動をしているのだと思う。

 

事実、それが本当にわかり、そこにお金を費やした人達が益々豊かになっていっている。

 

大切なお金と人生の時間を費やすのか。

 

ビジネスの脳と宗教の脳の発想の違い。これは全くの真逆のように思う。本物にお金を払うことで豊かになる。

 

これが完全に理解できると更に学長がされていることの偉大さが理解できるようになると感じる。

 

「お金」というものが人間の常識と神の常識の違いを一番顕著に表しているように思えてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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