「我」の前に「真我」を通す

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※学長(佐藤康行先生)と受講生の質疑応答より

 

質問者①:相手の美点発見をするのに、その場で相手にピッタリの言葉を返すにはどうすれば良いですか?

 

学長:今、ピッタリの言葉が思い浮かばないと言われましたが、ピッタリの言葉なんか浮かぶわけがないのです。

なぜならば、違う人間だから。

じゃあ、ピッタリの言葉はどうすれば良いかというと、相手が何かを言っているのは、

自分のことをわかって欲しい、認めてほしい、それをキャッチして、それを返してあげる。

 

「素晴らしく変化したように私は感じます」とか、その分野に関してその本人が言ってる言葉を返してあげる。

 

その分野に特に進化がみられてますね。良いですね。素晴らしいですねと、そのようにして返す。

 

ピッタリの言葉、心は、世界にその人一人しかいないですから、誰が言ってもぴったリの言葉はないと思ってください。

 

相手が言ったことをキャッチして的を絞る。

言ったことというより、その奥にある。

奥というのはもう決まっている。愛を求める叫び。

 

 

質問者②:不安、心配、恐怖に心が支配されて、心が落ち込んでしまう事があります。染みついた考え方の癖を直して毎日を元気に過ごすための秘訣を教えてください。

 

学長:心配性は、誰しもそういうのがあると思います。まず一つのやり方として、一旦最悪を受け入れちゃう。

 

最悪でもこうだろう、最悪でも死ぬことはないだろう。それを一回受け入れて、受け入れたら、すべてがそれよりもマシになりますから。

 

そうでしょ。その最悪より更なる最悪はないのですから。

 

それだけでも心が相当ラクになります。まあ、死ぬことはないだろう。ましては、いつかは死ぬのだから。

 

一回全部受け入れてから、それよりマシだったら、今度は感謝することに変わるじゃない。そこまでいかなかった。ありがたい。ありがたい。ありがたいって思えばいいじゃない。

 

そのようにシンプルに受け止めた方が良いと思います。特に心の部分はあまり複雑にしちゃうと訳わからなくなりますから。

 

最悪より、更なる最悪はないから。受け入れたら、あとは全部良いことです。

 

 

質問者③:受講生の友人で、とても我を通している人がいます。そのようなタイプの人はどう関わっていけば良いですか?

 

学長:私には、今のご質問がどのように聞こえているかというと、〇〇さんも負けずに我を通しているなと。お互いに我を通し合っている。

 

だから、真我を通す。我の前に真我を通す。相手は我が強いと、自分の我がそのように思っている。

 

同じなのです。私からしたら同じように聞こえます。ごめんなさいというのは、負けましたということ。戦争でも勝つことを目的にしているでしょ。

 

でも、ごめんなさいというのは「あなたに負けました」ということ。

負けるが勝ちという言葉があるでしょ。だから、負け方を覚えることが大事なのです。

 

そういうことは真我では自由自在にできるのです。我ではなく、真我を通しましょう。

 

質問者③:しかし、その場合に負けて良いのかという思いが湧いてきます。真我を一緒に追求していて、相手が違う方向に行っていて、

こちらがごめんなさいというのはしっくりいかない気もします。

 

学長:例えば、ここで家を大掃除しているとして、その家の一部が少し汚れているとして、その汚したのが自分だとしたら、

この大掃除でこの家を綺麗にするために、そこを汚したのが自分だったら、そこを汚したのは自分です、ごめんなさいと言うのは別に負けたことにならないでしょ。

 

もっと大きな単位で勝つ。真我という究極の大きな単位で勝つ。

 

そのために負けたふりというか、認めるところを認めた時に、相手も認めやすくなる。

 

こっちも我を通して、お前が悪い、お前が悪いってやっていたら永遠に平行線です。

その友達が気になるのは大事だからですね。ですから大きな括りで勝ってください。

そのために小さな括りで負けてもどうってことない。余裕を持ってください。

 

余裕を持って、時には大人が子供に相撲で勝って負けたふりをしてあげるのも大事な訳です。

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