学長:太陽の光がありますね。太陽の光が、壁にぶつかったら跳ね返ってきますね。
レンズと通すと、ずーっと一点に集中します。下に黒い紙があると、ボッと間もなく火がつきます。
私がやっているのが太陽だとしたら、それを伝える人はレンズになり切る。
そのレンズの光が集中して、一点のその人の真我に届くようにすると、その火がぼっと燃えるように真我がバッと開いていって、いろんな問題点同時に解決していくのです。
壁になるか、レンズになるか。伝える人はレンズになり切るということです。
そこに自分を出してはいけないのです。
自分の背中から通り抜けて、佐藤康行のやっている真我が、その目の前にいる人に届くようにする。
レンズになり切るということ。
壁になったら、その壁にぶつかって、そこから向こう側のものは自分の考え、我が出てくる。
たくさんそいういう人を見てきましたが、それは大変危険です。
ですから、壁にならずレンズになり切りましょう。自分の背中を突き抜けましょう。
そこには自分の我がない。我が邪魔して屈折しちゃったり、違う色になったりするとまずいのです。
この真我をやっていると、周りの人がどんどん変化していく。それを自分の能力とか、自分の技だと思ってはダメです。
そのいいとこを取って、良いとこ取りをしてはダメなのです。
完全にまさにレンズ、透明なレンズになり切ってやると本当の意味で奇跡のようなことがどんどんでてくる。
自分の手柄にしてはダメです。自分の手柄そのものが我です。ここがポイントです。自分の手柄にしたら危ないです。
自分のことで喜ぶのではなく、その人のことで喜ぶのです。
ほとんどの人が落ちる落とし穴です。これが続いていると人間が変わってきます。
私はいろんな例で言っています。添乗員だとか、郵便局だとか。
添乗員は景色を作る人ではない。景色に案内する人です。
郵便局は感謝の手紙が来ても、郵便局に感謝しているのではない。その感謝する人に郵便局は届けてあげる。
郵便局は感謝されても、ちゃんと配達してくれてありがとうかもしれない。
添乗員さんには、良い景色まで案内してくれてありがとうかもしれない。
良い景色の前に立ってはダメなのです。邪魔になるのです。
見えないから、どけてあげないといけない。
その絶景は自分とは関係ない。素晴らしい絶景をどうぞ楽しんでくださいと。