昨日ブログでご紹介させて頂いた素晴らしい奇跡の体験談。
不思議にと何度読ませて頂いても、真我が開き涙が止まらなくなる。
(ご本人の掲載許可を頂いていますのでご紹介させて頂きます。
ボリュームのある体験談なので、3つに分けてアップ致します。)
I さん体験談①
32年前、私は夫と結婚。と同時に夫と共に会社経営をしている夫の両親との同居となり、3人の息子が生まれました。同居生活は、全てが夫の両親中心でした。お金も時間も、自由にならない。不自由さをいつも感じていました。
舅は会社では社員を、家では私をいつもどなり、ビクビクして、不安な毎日を送っていました。それに対して夫は、何も言わない人で、私は次第に「両親の言いなりの人」「私を分かってくれない人」「何もしてくれない人」と感じるようになりました。
夫への不満、夫の両親への恐怖心と嫌悪感が募れば募るほど、「私は何故ここに居るのか?」と考えるようになり、私はこの家に居ない方が良いのではと思うようになりました。
この状態が28年たった末、三男が突然会社に行かれなくなったのです。夫の両親は「これは全て母親の責任だ。育て方が悪かった。お前は母親じゃない。」と激しく言われました。この言葉は大きく胸に刺さりました。
悲しみと共に、「いずれ三男を連れてこの家を出て行くことになるだろう。」と頭の中で思っていました。
半年後『あなたが変われば、子供が変わる』と言う言葉に惹かれ、YSクリニック(当時、福岡にありました。)に、私が通いましたが、3か月経った頃、元々通院に反対していた姑が「何が変わったの?どこが変わったか言いなさい。もう行かなくていいわ。」と激しく言われ、通う事が出来なくなりました。
けれど、偶然、広島の「満月の園」の佐伯さんと出会い、「外出し難いなら」と瞑想会に誘っていただき、2018年12月から参加しました。
2019年2月、家族に隠れるようにして行っていた「満月の園」で、真我開発講座を受講している時、「お姑さんは私よ。」という亡き母の声が聞こえました。
それまで、夫の両親に絶対言いたくなかった『有難うございます』を言う事が出来ました。
そして、長崎講演会に奇跡的に行くことが出来ました。家に帰ったら三男が「復職する。」と言い出し、関東の会社へ復職しました。
しかし、家族は喜ぶというよりも、何の説明もなく復職した三男に「今までは何だったのか」とむしろ腹を立てていました。
そして、2020年3月、コロナが広がり始めた頃、再び会社に行かれなくなり、全く連絡が取れなくなりました。
生きているのかも、分からない。私はとにかく迎えに行こうとしましたが、家族全員が「お前が行って何になる。何が出来る。行くんじゃない。」と激しく止められました。
私は家族に対して何とも言えない感情が湧き出て、苦しくて仕方ありませんでした。「瞑想会しかない。」と必死で毎日参加し続けました。
ある日、内観光受している時、大好きな亡き父と夫が重なりました。そして、夫と初めて会った時、何故だか「この人の力になりたい。」と思ったことを思い出したのです。
どうしてこの家に居るのか?ではなくて、そもそも、私がこの家に来ると決めていた!
なのに、自分を守ることに一生懸命で、夫のことを何一つ見ていなかった。分かろうとしなかったことに気づきました。
夫は両親の言いなりではなく、夫こそが、家や会社の中心となって、全てを背負って、愚痴一つ言わず、前向きに生きている。全てを大きな愛で包んでいる。素晴らしい人。私は夫に謝り、感謝を伝えました。
夫は「やっと分ってくれたんだね。結婚を後悔したことは一度もない。これからも、ずっと一緒に居てほしい。」と涙の和解をしました。
そして、「二人で三男を迎えに行こう!」と力強く言ってくれたのです。
三男は暗い部屋にぽつんといました。生きていてくれました。夫は立ち尽くし、涙を流していました。
「僕は苦しんでいるお母さんを、早くあの家から連れ出してあげたかった。僕がお母さんを引き取りたかった。なのに、自分がこんなことになってしまった。だから、帰れない。」と言うのです。
『あ~、これだったんだ。三男を物言えず、動けなくさせていたのは私だった。』
(つづく)