「佐藤康行の光の世界 寂光」が開催された。
なんという凄い世界なのだろう!!!!!
こんな世界がこの世に存在するという奇跡!!!!!
すべての人が神。すべてが愛。すべてのすべてが神そのもので完璧という世界!
しかし学長には、こちらの世界が普通なのだと思うと、やはり驚きでしかない!
一年前の橋渡しから今日のこの日を心待ちに参加された方々。
一年間の全てがセミナーだった。一年前に今日の橋渡しをしていなければ人生が真逆の道に行っていたと思うという言葉を何人もの方より耳にした。
セミナーは、学長の脳裏に今朝方浮かび上がってきた図の講話からスタートした。
全く初めて見る図だった!
その講話を聞いていると何故か頭がフリーズした感覚になり、学長の言葉が聞こえるのに頭が付いていかない。
講話の後のワークでは、学長のエネルギーで会場の参加者の方々の真我がワァーっという泣き声と共に一斉に開かれ、
まさに壮大な奇跡を目の当たりにしているようだった!
受講生の方々の今日1日の変化も桁外れに凄く、
家系の因縁が全て真我の愛で消え去った体験、
全ての全てが神の愛に変わったという変化。強烈だった!!
どこまでも凄くなる「光の世界寂光」!
一年後は一体どんな世界になっているのだろう!!
※冒頭の講話の一部です。
学長:「光の世界寂光」というテーマですけど、寂光というのはどういう意味か、その辺から話をします。
満月と三日月で表す。満月と三日月。三日月以外の月の部分は闇で見えません。
月は本来まん丸。
でも太陽の光が当たった分だけが輝いて見える。こちら側は見えない。
私たちが普通に生きていると、見える部分だけで判断しちゃう。
人間は五感で感じるものだけで、物事を決めちゃう。あの人はこういう人。この人はこういう人。
あの出来事はこういう出来事って決めてる。
でも見えないものは見えないのだから、評価もできないし、言うこともできないですね。
後は予想で言うしかない。予想、妄想で。この三日月は太陽の光が当たった部分の月ですが、実は闇も含めるとまん丸ですね。
まん丸が真理です。
まん丸が真実です。
まん丸が実相です。
そのまん丸の方。こちらの光っている方でなく、まん丸の方を寂光と言います。
だからこういう光っている光じゃない。真理のことを寂光と言います。
そのものの実相のことを寂光と言います。
神のことを寂光と言います。
よろしいですか?光の世界寂光と名前を付けているのはそう言う意味です。
光っている見えるところだけでないのです。
人は皆神という前提。
その人その人には光も闇もあるけど、その奥は神そのもの。
真理のことを寂光と言います。