神対応セミナー・学長講話より〜その2〜

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(昨日の神対応プログラムでの質疑応答の続きをご紹介します!)

 

学長: 私がいう美点発見というのは、褒めることではないのです。

 

褒めるのとはちょっと違うのです。何が違うかというと、褒めるのは相手がいないと褒めれないでしょ。

 

美点発見は、ずーっと一人で何時間でもできるのです。

子供の素晴らしい点をずーっと紙に書き続けるといい。

 

そうするとどうなるかというと、美点だけを見ていると、自分のメガネが変わるわけです。

 

以前のメガネは悪い点ばっかり見える。悪い点を良い点に直してやろうと、上から目線なのです。

 

上から目線を「被せ」といいます。

 

本当は良い点しか見えなくなれば、後は本当にそれを言葉に出してあげれば、自信がどんどんついてきます。

自信という言葉は、私は自信という言葉そのものが私は間違っているのではないかと思います。

 

自信というものがあって、自信がつくというのは変でしょ。

 

そうではなく、自分の素晴らしさを認めたら、認めた分だけ現れてくる。

その自分の素晴らしさを認めるお手伝いをしてあげる。

 

そして、ちょっとでも変化があると、大きく認める。一緒に喜ぶ。『素晴らし』って。『ああ、良かった』って。そちらをぐーんと大きくしてあげる。

 

『あなたは天才じゃないの?素晴らしいよ』って。

 

そういうのを普段から美点発見で書いていれば自然と出てきますから。

 

一人でできるということが大事です。

 

一人でやるから、反論がないからいくらでもできるのです。

 

今すぐでもノートに書いてできる。

 

そして、書いたものをそのまま本人にと言うのは、また作り話になるから、もっと自然に言わないといけない。

 

一緒に食事をしている時にぽろっと出るような。するとスッと入るのです。

しかし。あなたの美点を書いたと言って伝えると、なんか演出のように作られたものに感じるでしょ。

 

無理矢理そんなこと言ってほしくないと、普通はそう思います。

 

もっと自然に言えるように一人で書き続けて、ぽろっと子供の良い点が、状況の中で、環境の中で自然と出るように、適切に言ってあげる。

 

もし、子供が自慢をしだしたら、その自慢を思いっきりいわせてあげる。

 

『あんた今こうしていったわね。素晴らしい。もう少し聞かせて。そうなの。そうなの。凄いね。凄いね。もっと聞かせて』って頷き、合いの手を打ってあげる。

 

『もうちょっと聞きたいな。さっきこういう風に言ったけど、どうしてそういうふうになったの?』っていうと、

 

自分の言いたいことだから、言いたくなります。

 

美点を書いて相手に伝えるというのは、それを被せって言います。

それを聞けば聞くほど逆に苦しくなる。そうしなければ、そんな風に生きなければダメなのって。

 

強制みたいになる。期待されてると思うから。それが苦しいのです。期待するのではないのです。

 

今、どんな小さな変化でも、10グラムのものを持てても凄いねって。大したもんだねって。もっと自然にやってください。

 

(つづく)

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