※真我を人に伝える時に、誤解されるのではないかという思いについて。
学長:私たちが本質を伝えようとする時、誤解されるという話がよくあります。
先ほど言ったように、真実の自分というのがあるでしょ。
真実の自分は最高の自分です。
神そのものの自分、宇宙の自分、愛そのものの自分。
これを私が元やっていた宝石屋の宝石に喩えるなら、ここに一億円のダイヤモンドがあるとする。
それも世界一の鑑定士が見て、このダイヤモンドは一億円の価値があると言ったときに。
世界一の人が、ちゃんと全部調べて世界一だと、どれと比べても値段的に世界一だということがわかったら、
それ以外の人、何億人の人がイミテーションじゃないかと言っても、
他はそれ以下の人だから、全部にボロンちょ言われても、イミテーションと言われても、ビクともしない。
この一億円のダイヤは変わらないわけです。
何も変わらない。
そうでしょ。世界一の人以外は2位以下だから、全く見る目がない。
見る目のない人に何を言われても、世界一の人はビクともしない。
いいですか。それを自分に置き換えたらいいです。
人がなんと言おうが、ビクともしなくなります。
それに振り回されなくなります。
なんか宗教と思われるんじゃないか、なんか変に思われるんじゃないかと。それは自分がそう思っている。
ちゃんと自分が真実を見てないから、そんなことに振り回される。
本当にわかっていたら、振り回されない。どんなに自分のことをああだこうだと言われても。
今度はそれを相手に置き換える。
あなたは一億円の価値のダイヤモンドだとなった時に、本人もわかっていない。
もしかしたら、イミテーションかもしれない、10万円くらいなのかもしれないと本人は思っている。
こちらはわかる。
何を言っているのですか?あなたはこんな価値があるじゃないですか。こんな素晴らしいじゃないですか。
ほら、こういう面もこういう面も、だから素晴らしいじゃないですかと、証拠を見せてあげる。
これを一般にできるようになったのが美点発見。
誰でも蘇ってくるでしょ。
あなたの素晴らしさを、いろいろ証拠を見せながら、あなたはこんなに素晴らしいんだ、素晴らしいんだと。
本物がわかれば微動だにしないのです。
他人が評価する自分、自分が評価する自分、本当の自分。
その本当の自分が、一億円のダイヤモンドというのは喩えですが、無限に価値があるということです。