今日は「佐藤康行の引きこもり家族支援」プログラムセミナーが行われた。
このセミナーは、引きこもりや不登校、精神疾患のご家族向けにオンラインで月に一度開催されている。
今日も聞いているだけで魂が揺さぶられ、思わず涙が込み上げてきた。
思い返せば、私自身が真我に出会ったのも子供の不登校引きこもりがきっかけだった。
息子も娘も不登校引きこもりを体験している。
毎日学校に行けない子供を目の前に、出口の見えない真っ暗のトンネルにいるような感覚だった。
今日の質疑応答を聞きながら、当時のことが鮮明に蘇ってきた。
(私自身の体験談「真我と子育て」)
※本日の質疑応答の一部より
質問者:夫婦関係も子供も変化しているのですが、自分の想念と子供について教えてください。
学長:私が逆に質問します。お子さんは二人ですね。一人は鬱と引きこもりですね。
その二人の子供は自分と自分の夫の子供ではなく、神様から預かった子供だと思ったらどうですか?
「頼んだぞ」と。
質問者:尊いです。
学長:尊いです。どんな状態であれ尊いのです。神様から預かったから。
問題があるとしたら、神様があなたならできると、それを解決できると神様が信用してくれた。
全面的に信用して二人の子供を預けてくれた。そして答えまで全部くれた。
答えは「愛」だということ。二人とも。
答えもくれて、子供という現物まで預けられて信頼されている。
だから子供の問題ではなく、あなたの問題なのです。
そう思ったら、スイッチがちょっと違ってくるのではないですか?
「神様、何もできませんでした」と言えないでしょ。どうですか?
あの二人の子供は神の子だと。神の子であり、もう神様だと。私がいう満月の法則はそこを言いたいのです。
三日月のように欠けているけど、本当は満月ですよと。その丸いところを見ましょうということなのです。
すると、だんだんだんだん丸く見えてくる。
自分の目が。
先ほど、神様の子だったら、尊いありがたい子だと仰ってましたね。
尊いありがたい子なのです。そして全面的に任されたのです。その二人の子に限っては。すると、違ってくるでしょ。
もしかしたら自分の子だからって、そうなったのは自分であり、それも自分の一部になっちゃう。
そうなると少し甘くなっちゃう。しかし、神様から預かった子だと思ったら全然違いますよ。
いかがでしょうか?
心配が反映して、心配の通りになる可能性があります。
心配も想念だから、自分という想念が実現していく訳です。
あまり心配しすぎると、その心配通りになる可能性があるのです。
現象面は心の後からついてきますから。せっかく、真我という究極を学んでいるのですから、
まん丸で見る方法、美点発見だとか完璧愛ポストとか、真我瞑想とか、全部そこが目的です。
ちょっと、そこのところを挑戦してみてください。
神様から預かった子だと思って。