(つづき)
今からちょうど28年前、1994年11月に学長が札幌刑務所で講演をされた。
その時の音声は本当に驚きで、受刑者を前に話されているとは、音声を聞いているだけでは絶対にわからない内容なのだ。
学長には差別心が一ミリもないというか、全ての人が神という視点からの講話だから、聞いている受刑者の人たちの心の深くに響き、
生きる意欲や本当のやる気が引き出されたのだと思う。
(その講演の後で、刑務所から送られてきた感想の一つです。)
〜〜人生自由自在を聞いて〜
講演を聞いて私はとても感動いたしました。
そして、その内容を聞いて、本当に実感させられることがたくさんあり、とても私のためになる1時間の講演だったように思います。
なかでも、特に感じたことは、先生の話の中で、家族を大切にしないやつは他の人など幸せにできないどころか、自分も幸せになれないというところです。
本当にその通りだと思います。私の人生もその一言だったように思います。私は本当にこの講演を聞きながら、自分に問いかけました。
本当に俺のことを言われているような気にもなりました。
私は今まで、30年間の人生で、本当に周りの愛すべき人たちを裏切り、迷惑をかけ、どれだけ不幸にしてきたか分かりません。
本当に自分勝手なことばかりして、この刑務所にも世話になっています。
いつもここに務めている間は、俺はもう、今度ここを出所した時は、絶対にやらないぞと思いながら出所するのに、また自分勝手なことをして何度もここでの生活です。
その度に、娘や父母に心配ばかりかけ、迷惑をかけ、寂しい思いをさせてきた大馬鹿者と講演を聞きながら、自分のことが頭の中に出てきたのです。
家族を大事にしないやつは、といわれた途端、頭を何かで殴られた感じでした。
私には、中学になる娘が一人います。妻とは別れていて、今、娘は私の実家で私の父母と暮らしているのですが、私が父に出した手紙は住所の書いてない手紙です。
私はそれだけでも、本当にいつも娘にすまないという気持ちなのです。
そうですよね。どこに今どき誰が自分の父に出す手紙に、娘が見たら困るので住所の書かない手紙を出している悲しさ、、、。
自分が悪いのです。この気持ちは、いかに自分が家族を不幸にさせ、心配をさせているかの表れだと感じています。
この事実がある間は、私は幸せになれないと、今回の先生の講演を聞いて、また頭を先生の言葉でガーンと殴られた気がします。
考えてみると、その住所のない手紙で、娘はうすうす感じているみたいです。
私の父に言ったそうです。「パパ、またなの」と。それだけで、家族を不幸にしています。
本当に反省し、もう懲り懲りだと思っています。
私は、話を聞いて、これから二度と住所の書けない手紙は絶対に書かない人生を送ろうと心に決めたのです。
話は私ごとになってしまいましたが、本当に先生の話の通りに、これから家族を絶対に大事にしていくことを決めました。
そのためには、やはり話にあったように、やるぞやるぞという気持ちと努力、そして、自分を信じて頑張ること。
何事も頑張らないと、仕事もうまくいかないし、家族も自分も幸せになるために、頑張りたいです。
本当に良い話をありがとうございました。私も頑張り、私の周りを幸せにすることを考えながら、生きていこうと思っています。
本当に佐藤先生の講演で、目が覚めました。頑張ります。
本当にありがとうございます。最後に私の体が財産です。本当にありがとうございます。
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