人を神とみる訓練

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※今日、学長が事務所で瞑想について話されたことの一部をご紹介します。

 

学長:神成瞑想図は敢えて周りを描いているけど、本当は神しかない。

人を見たら、人をあの瞑想図と同じだと思えば良い。

 

たとえば、あなたの後ろに先祖がいて子孫もいる。フィルムとスクリーン、心と体と現象がある。

 

あの瞑想図を人間だと思ったら良い。人を見て、「神・神・神」と。

 

大霊団瞑想図も人だと思えばいい。

 

全てが神。何に対しても「神・神・神」と言っていればいい。

 

真ん中の神は自分であり人なのです。

そこに焦点を当てると、大霊団も動き出して協力してくれる。凄いことが毎日起きている。

 

いずれ「神・神」と言わなくても、相手をそう捉えるしかなくなる。

 

それをメガネに喩えているのです。

 

このメガネが相手の汚点、汚れた部分しか見えないメガネか、

メガネを変えて相手の美点しか見えないメガネか。

そのメガネは心だと。

 

心を浄化することによって、相手の美点しか、神しか見えないメガネに変えることができる。

 

瞑想することによって、そのメガネが完成されていく。メガネの汚れを取れていっていると思えば良いです。

 

メガネが完成されていなければ、前提という言葉を使えば良いです。

 

大霊団瞑想も神成瞑想も「神・神」と、あのまま人間だと、相手だと。

 

そしたら、あれは人を神とみる訓練になる。

 

間違いなく、大霊団瞑想で目に見えない大霊団が動き始めているという実感があります。

 

神成瞑想図は全体像が入っている。そういう、全体像がわかる。先祖と子孫だとか、心の仕組みとか。

どちらかというと、ロジック的なものです。

 

大霊団瞑想はロジックというより、大霊団、亡くなった先祖たちに焦点を当て、ちょうど〇〇さんって、名前を呼んでいるようなもの。

 

そしたら、「はい、わかりました。協力しましょう」と動きがある。

 

あの世にいる人たちの存在を認めるということ。

死んだ人は、もういないんだと殆どの人は思っている。

 

しかし、私は、あの図はいるんだという前提です。もっというなら、私達の先輩たちを敬うというか、貴方達のおかげというのが含まれている。

 

大霊団さま全てが神です。

だから神、神、神。

そしたら、その動きがこちらに来て動き始めている。

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